普賢岳噴火を思い出して

普賢岳は1991年の6月3日の午後4時8分に噴火していますが、テレビで大きく報道されているので覚えている人たちも多いかと思います。そのために「普賢岳」の火砕流というもので亡くなった人たちが、住民、警察、消防、報道関係、科学者など大勢いるということです。なかでも報道関係者は、避難勧告区域の中に勝手に入り込んで取材を続けていたといいますので、消防署の人たちも再度出動していることがあります。避難さえしていればこのような人的被害には及ばなかったということがありますよね。

しかし、報道ということではテレビのカメラマンが使用してた業務用のビデオカメラが、火砕流の高熱で溶けていたこともありますが、内部のテープが取り出せたこともあって記録を見ることもできたといいます。最近のカメラの性能にも驚きますが、報道の過熱ということでは、人命にも関わることが多いことを思い知らされますよね。

それで、近くには島原市もあるのですが、普賢岳の前には眉山という山が立ちはだかっているということで、島原市への直接的な被害は免れたということですが、当時の噴火のようすを映像でみていると、「追いかけてくる雲のような火砕流」を見てていると、これはまるで映画のために合成したもののように見えてしまいます。逃げ惑う人たちと火山の迫力がいっしょになってくるので恐ろしいです。

火砕流が山を雪崩のようにも滑り降りてくる・・。それは時速100㎞の速さであるといいますのでとても逃げ切れるものでもないようです。最近噴火した「新燃岳」もこの普賢岳も昼間の爆発であったので、付近の人は噴火したのが目で確認できるということがあります。もし夜中などであれば噴火の火柱しか確認できなかったのでしょう。

それに火山学者の人や地質学者の人などもいたのにもかかわらず、予測できない噴火の火砕流に遭遇したことがありますよね。それに比べると地元の人の方が身の安全ということについては分っていたのかもはしれないですよね。いくら仕事とはいってもあまり近づきすぎたということがあるでしょう。

わたしなどは、桜島でも「冬場に噴火の灰がいつも降ってくる」そんな場所にも住んでいるのですが、考えてみるといつも火山とともに生活しているようなところはありますよね。それで、庭を眺めてみるといつも灰がかかっていて、雨でも降らない限りいつも埃っぽいということはあります。自家用車なども洗っても洗ってもまたすぐ灰をかぶってしまうので、汚いままなんですが・・。

噴火による地響きも聞こえてくるということもあるし、噴火に慣れてしまっているのですが、活火山がそばにもあるということをすっかり忘れてしまっているということがあります。長崎の普賢岳とは少し距離もあるのですが、どうにかすると、普賢岳のことを「ふきげんだけ(不機嫌だけ)」と勘違いして読んでしまうことも多いです。